院長の経歴

血管内カテーテル治療の専門家

経歴一覧

2003年:香川大学医学部卒業。国立国際医療センターを経て、
2005年:日本有数の心臓血管治療施設である小倉記念病院にて循環器科研修
2008年-2018年:名古屋共立病院にて心臓・末梢血管カテーテル治療に従事。副院長、循環器・ASOセンター長を歴任。治療最難関とされる透析症例の経験数は日本トップクラスであり、以後10年にわたり国内外で活躍。
2011年:済寧(Ji-ning)医学院附属病院客員教授就任
2013年-2015年:全医会 伊藤整形・内科 あいち腰痛オペクリニック 非常勤 兼務
2015年:大垣徳洲会病院循環器内科 非常勤(現在も兼務)
2018年:大垣徳洲会病院循環器内科 非常勤顧問 (現在も兼務)
2018年:名古屋大学血管外科 非常勤講師 (現在も兼務)
2018年:Okuno Clinic勤務
2019年:なごやEVTクリニックを開院

1976-

故郷

出身は岡山県です。高校時代までを岡山で過ごしました。『晴れの国』と言われるように、晴天が多く、瀬戸内の穏やかな気候のもと、のびのびと育ちました。幼少期より好奇心旺盛で、何かにとりつかれたようにすぐに熱中してしまうようなところがあったようです。大学に進学後は就職を含めて岡山に戻る機会はありませんでしたが、いつの日か故郷に恩返しをしたいと思っています。時々帰省した際には、心からほっとします。やはり故郷はいいものですね。

1997-

香川大学医学部卒業

大学時代は、野球部に所属しておりました(4年生のときに主将を経験。主な成績は、西日本医学生大会第3位、中四国大会優勝)。素人で大学から始めたため苦労しましたが、努力の結果、主将を務めるまで成長することができました。スポーツドクターになりたいとぼんやり考えていたことが懐かしく思い出されます。心臓医、血管内治療医の道をひたすら突き進んでまいりましたが、10代の頃の夢であったスポーツドクターの世界に関われることに心より喜びを感じています。スポーツを楽しむすべての方々を応援したいと思います。

2003-

国立国際医療研究センター病院

独立行政法人国立国際医療研究センター病院が私の原点です。ここでの研修により医療を幅広く学ぶ機会を得られたことが、現在、自身の専門領域を拡げることにつながっているのだと思います。私が大切にしているのは患者様の訴え(主訴)です。‟私の専門領域では問題がない“、あるいは‟画像検査では問題がない” という説明のみでは解決になっていません。例え専門外のことであっても、道筋をつけるのが医師の務めだと思っています。患者様の前では、ひとりの医師・人間として、等身大で向き合いたいと思っています。

2005-

小倉記念病院

日本有数の心臓血管治療施設である小倉記念病院にてカテーテル治療に従事。循環器内科のメッカとして非常に多くの症例を経験できることはもちろん、冠動脈疾患・末梢血管疾患・不整脈・構造的心疾患・心不全等、各分野の第一人者として活躍されている先生方がおられるということが非常に魅力的でした。カテーテル室はほぼ常時フル稼働しており、自分の症例以外にも興味のある症例にはいつでも勉強をしに行くことができました。

2008-

名古屋共立病院

日本の血管内治療技術は世界最高の水準にあるといって過言ではありませんが、それでも未だ尚解決途上にあると言われている領域が「透析症例」の血管です。 合併症リスクも一般患者に比較して非常に高いです。日本第3位の透析医療グループである名古屋共立病院で10年に亘り現場の責任者であったことから、国内屈指の症例経験を有しております。治療を成功させることはもちろんですが、それを安全に完遂することに情熱を注いでまいりました。合併症管理、予防には絶対の自信を持っております。

2014-

世界で初めての血管内視鏡

治療後に心血管イベントが再発しないことにもこだわるようになりました。きっかけは、やはり透析症例の心血管疾患です。治療後も再発が少ない方と、そうでない方と血管にどのような違いがあるのか、それを見極めるため胃カメラなどと同じように血管の中を直接観察してきました。これにより、複数ある治療選択肢の中から最適な方法を選んだり、治療後に有益となるような服薬の種類・投与方法を検討しました。また、世界で初めて血管内視鏡で直接血管内を見ながらワイヤーを血管閉塞部に通すという治療方法をヨーロッパの学会で報告しました。

2000-

カテーテルライブデモンストレーション

30回を超えるカテーテル治療ワークショップを開催して、200名を超える医師に血管内治療の知識・技術を啓蒙してきました。学会活動の一環で機会をいただき、国内外でのカテーテルライブデモンストレーション(実際の治療ライブ中継を通じての勉強会)において、コメンテーターやライブオペレーターを通じて、医療技術の発展・普及に取り組んでまいりました。また、国内外でのカテーテル治療の招請に応じて、各地で治療を行ってまいりました。